小岩井農場音声ガイド

岩崎久彌

岩崎久彌IWASAKI HISAYA
岩崎久彌

『動植物を愛し、近代の農牧業に造詣が深い』
日本の農業の発展をめざしたカントリージェントルマン、岩崎久彌

農場主 岩崎久彌

1899(明治32)年、小岩井農場は当時農場主であった井上勝から三菱第三代社長の岩崎久彌に継承されます。実業家としてのリーダーシップと農業分野の専門書を精読するなど独学で蓄えた農業に関する豊富な知識は、小岩井農場の経営にいかんなく発揮され、日本の農牧事業の発展に邁進していきます。

岩崎久彌の経営方針

この地の気候風土に適合するものとして、また明治はじめからの国策である殖産興業の一翼を担い日本人の体位向上に役立たせるため畜産振興を行うことを目標に定めます。種畜の生産供給(ブリーダー)事業を主体とし、飼料作物の耕作を行なうこと(畜主耕従)を経営方針としました。現在に続く、畜産事業の始まりです。

『人の為に役立つ農場を作りあげることが久彌の夢だった』

岩崎久彌の農場への想い

1916(大正5)年、三菱の社長を50歳で退いた後、久彌は農牧業に邁進することとなります。 農牧業は動植物に対する知識と感覚がなければ経営し得ないもので、この成功は久彌の研究熱心と天性によるところが大きいと言えます。

岩崎久彌 略歴

(1865年10月14日-1955年12月2日)

三菱創業者・岩崎彌太郎の長男として現在の高知県安芸市に生まれました。1893(明治26)年、叔父・彌之助から三菱の社長を引き継ぎ、造船、製紙、金融事業などさまざまな事業を展開。在職20年余、諸事業を発展させ、今日の三菱の根幹を築きます。三菱をより近代的に改組した後の1916(大正5)年、50歳で社長職を従兄弟である岩崎小彌太に譲ります。

岩崎久彌と三菱の事業

久彌が三菱の社長を務めた期間(1893—1916)は、日本国内で殖産興業、産業革命、重工業形成が重なった時期でもあり、時代の追い風に乗って叔父彌之助によって築かれた事業を更に多角化するとともに、各事業部に独立採算制を導入し、近代的マネジメントシステムを積極的に採用しました。